りぼん作家大塚由美先生逝去…最近の活動は?逝去について漫画家仲間の声も紹介

1990年代に『りぼん』で活躍されていた大塚由美先生が2024年4月14日逝去されました。

まだ50代。若いです。

近年はがんで闘病されていたようですね。

大塚先生は、『りぼん』で何作品も連載していた人気漫画家です。

しおん なな

私は1996年の「ミルクとビタミン」の頃から好きで読んでいました!

大塚先生は、2003年頃からりぼんで漫画を発表しなくなりました。

おそらく、結婚して育児に専念されるようになり、一線をひくかたちになったのかと思われます。

今回は、大塚先生のりぼんを離れてから最近の活動状況、

そして、逝去のニュースを受けて漫画家仲間の声についてまとめてみました。

目次

大塚由美先生について

画材の写真

昭和63年、「言葉にできない」でデビュー。(『りぼんオリジナル』1988年春の号に掲載)

その後、『りぼん』や『りぼん』の派生誌にて、多数の作品を発表しています。

『ペッパーズ探偵団』、『シュガーなお年頃』、『ピースな奴ら』、『ミルクとビタミン』、

『ドロップ・キック』、『あっぷるパイン』と多くの作品を『りぼん』で連載していました。

1990年代の『りぼん』の人気を支えていた漫画家の1人です!

大塚先生は、愛知県出身です。

その縁で、同じく愛知県出身の種村有菜先生が大塚先生のアシスタントをしていた時もあります。

種村先生がまだ売れる前で、当時デビューしてまもない頃でした。

1996年に連載していた『ミルクとビタミン』のアシスタントをやっていました。

『ミルクとビタミン』の中で、種村先生が描いた女の子が登場しています。

1999年の『あっぷるパイン』を最後に連載作品を発表しなくなります。

『りぼん』2003年8月号の読み切り作品『バオバブ娘』が、最後に発表された漫画です。

その後、大塚先生は出産され、現在、10代の2人の娘さんがいます。

近年はがんの闘病をしていました。

2016年に乳がんで左胸全摘術し、2019年には多発性の骨転移、ステージⅣ。

2022年3月に肝臓に転移し、2024年1月から緩和ケアに入っていたようです。

最近の活動

花の写真

2019年に大塚先生がX(Twitter)を始めて、当時のファンを喜ばせました。

コミックシーモアなどで、過去の作品が電子コミックになったことを宣伝するツイートをしていました。

絶版になっている作品が読めるのは嬉しいですよね。

大塚先生は、普段はsaradaという名前でX(Twitter)でツイートしていました。

フィギュアスケートが大好きで、色鉛筆で描いた羽生結弦さんの絵を公開していました。

美しすぎる!!うますぎる!!

さすが漫画家さん!

逝去について漫画家仲間の声

花の写真

大塚先生の早すぎる死に、『りぼん』時代のなかまの漫画家がツイートしています。

森本里菜先生(『君は青空の下にいる』、『探偵レボリューション』)

大塚先生と同じ昭和63年にデビューしています。

同じりぼん作家の『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ先生は2018年に乳がんのため逝去。

『チョコミミ』の園田小波先生も2019年に乳がんのため逝去。

小花美穂先生(『こどものおもちゃ』、『パートナー』)

藤田まぐろ先生(『ケロケロちゃいむ』)

松本夏実先生(『聖♡ドラゴンガール』、『夢色パティシエール』)

まとめ

大塚由美先生は『りぼん』の漫画家を退いてから、2人の娘さんを育てて、

saradaという名前でX(Twitter)を開始し、羽生結弦さんのファンだったようで、色鉛筆画を掲載していました。

大塚先生の早すぎる死は、とてもショックです。

大塚先生が活躍していた当時の『りぼん』の漫画家仲間からも、

追悼のメッセージが載せられていました。

大塚先生が亡くなっても、過去の漫画作品は残っています。

懐かしい!が詰まった名作たちを、まだ読んでみたいと思います。

最後に、大塚由美先生のご冥福をお祈りします。

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